1999年12月30日〜
1000年代最後の更新。
今年は、転職、引っ越しと生活が大きく変わったが、相変わらずマイペースで楽しい一年だった。勿論、思い返せば悲しいこともあったけど、終わりよければ何とやらだね。まぁ、単なる一区切りでしかない訳で、これからも愉しく送りたいものだ。
さて、CGがあるページのはずなのに、最近は月の写真に代わっている。天体望遠鏡は、いろんなパーツがあって、ちょっと気を許すとはまってしまうかも。近々頑強な経緯架台でも作ろうかなどと、ふと我に返ると考えてたりする。と、言うことで(何が?)、旧作ですがCGでもどうぞ。
今年も年越しは私の実家である。今夜か明朝には出かけようかな。
今朝は朝寝坊して娘と起きてきたら、既にみーちゃん氏がPCに向かっていた。浴槽に湯を張って朝風呂を楽しみ、残り湯で洗車。堆積した砂埃の上に、アストロスキャンを載せた跡がついていた。車のボンネットの上に望遠鏡を載せて使っていたのだ。車も綺麗になって、後は荷物を詰めれば出かけられる。
みーちゃん氏が残り物のエビと玉子とで昼食を作ってくれた。ちょっとピリ辛味のスパゲティだ。とてもうまかった。量が多すぎるのは玉に瑕だが…。
娘と遊んだり、TVを見たり、読書したりしてる内に日が暮れた。休み中の現金を払い戻しに出かけついでに、スーパーマーケットで夕食の買い物。平凡で気持ちのいい一日だ。
とまぁ、今年はこれにてお仕舞い。みなさん、よいお年を。
1999年12月28日〜
昨日は北海道に出張中の知り合いからタラバガニと毛ガニが届いたので、夕食は茹で蟹を堪能した。ご飯もいただかず、蟹だけでおなかが一杯になる贅沢をさせてもらったのは初めてだ。
今日は残りの蟹肉で炒飯を作って食べた。無論、みーちゃん氏が料理したのだ。とても美味しかった。
さて、先日天体望遠鏡を買って以来、毎日空を眺めている。そして、雲がない夜は家の前や二階の窓から星空を愉しんでいる。お陰で、帰宅しても落ち着かない私にみーちゃん氏はご機嫌ななめだ。
今朝は金星や月が綺麗だった。ウチの望遠鏡で見る金星は大きめの光の点でしかないが、月は興味深い。今朝もデジカメで月面を撮ってみた。
う〜ん、アストロスキャンは高倍率に向かないことはわかるのだが、やっぱり土星などをお馴染みの姿で見てみたい。で、あわよくばデジカメにおさめられないだろうか?
結局、会社帰りに協栄産業へ寄って、ハイ・アイレリーフの 9.2mm
LVアイピースを買ってしまった。ビクセン製の協栄産業オリジナルで、\7,500~
であった。店員さん曰く、安すぎるので値上げ検討中とか??更に
TOMY BORG のヘリコイドSが 31.7mm アダプターとセットで \2,000~
とこれまた格安だったので、ピント合わせがスムーズになるとほくそ笑んで買った。しかし、厚すぎて焦点が合わず使えなかった。購入金額プラス送料で引き取ってくださる方がいらっしゃれば、お知らせください。(虫が良すぎるか…)
あいにくの薄曇りだが、木製の縞模様、そして土星の環がよく見えた。たったの
48倍率だが、昔々に 100mm F10 のニュートン反射に Or 5mm で 200倍率にして見た記憶よりも綺麗だ。これが時代の進歩なのだろうか?とは言え、アストロスキャンの基本設計は
70年代らしいから、単に感受性の変化なのかな??
しかし、残念ながら高倍率を想定して設計されていないアストロスキャンでは、振動のない画面を得るのが難しい。導入した対象を観望するには
48倍率も問題ないが、コリメート式で写真を撮るには極端に使い勝手が悪い。しかも、K
28mm ではほぼけられの無い視野を得られるのだが、LV 9.2mm では 60%
以上がけられてしまう。デジカメを手持ちで撮影するのはピントはおろか、アストロスキャンの結像をファインダーに捉えるのも一苦労だ。固定すればいいのだが、手軽さを損ねるのはおもしろくないし、適当な金具は無く自作するか高価なパーツを元に改造するしかない。
取り敢えず、2倍率のバーローレンズを検討しようと思う。ううむ、出費が重なってきたぞ、ずぶずぶとはまっていきそうだ…。
1999年12月26日〜
昼過ぎから、東京ビッグサイトで行われているコミックマーケットに出かけた。
喫茶ぱらだいす☆あーみーの幽霊部員でもあるので、顔でも出そうかという次第。
今日は読止の「真夜中の子供たち」を眺める気にならなかったので、代わりに森博嗣氏の「黒猫の三角」でも読みながら向かおうかと書店をのぞいたらば、京極夏彦氏の新刊が平積みされていた。最近本屋に寄りつかなかったことを痛感する。「百器徒然袋−雨」を車中で読みながら、有明に向かった。
途中、車掌に有明への行き先を流暢な日本語で尋ねる黒人青年がいた。同じ行き先だからと声をかけて、一緒に行くことにした。ブライツ君は原宿に車を置いて、有明のフリマへ行くのだと言う。有明では友人が待っているとのことだが、有明と言う名の駅がJRに無く、しかも新木場を新千葉と聞き間違えたために随分遠回りしてしまったとこぼしていた。原宿の駅員が、「ゆりかもめ」を思いつけなかったらしい。とても流暢な日本語なのだから、ちゃんと聞いていれば新橋から「ゆりかもめ」で行けることを伝えられた筈だろうに…。
彼は、フリマへよく行っているらしい。何しに行くのかと尋ねられたので、マンガやアニメーションのイベント会場へ友達に会いに行くと伝えると、オタクが集まるやつ?などと言われてしまった。もっともなのだが、外人さんに言われると妙だ。彼とは駅前で握手をして別れ、ビッグサイトへ向かった。
コミックマーケットは、相変わらず凄い人混みだ。2年振りになるが、変わっていない。尤も、感慨に耽るほど来たこともない。そう言えば、一般入場は初めてだ。十万人近い人間が目立った混乱もなく蠢いているのは一種壮観だ。
半年ぶりに会ったメンバーと近況報告などをしている内に、終了時間を迎えた。前回の売り上げは芳しくなかったようだが、今回はそこそこの売り上げがあったようだ。(とは言え、収益はない)
八重洲地下街で軽い食事をとりながら労をねぎらい、散会した。毎度思うが、次回は何か描きたいな。
1999年12月24日〜
昨日、神戸から友達がやって来た。
以前、宿を提供してくれ、神戸を案内してくれた。そのお礼もかねて、食事をご一緒できるように時間を割いてもらった。(彼はおみやげにディスプレイアダプタを持ってきてくれた。このお話は、また後日)
稲毛海岸に旨い回転寿司のお店がある。ネタ良し、種類も豊富で気に入っている。そこへ招待した。閉店間際でややネタ切れではあったが、寿司は相変わらず旨くて満足してもらえたようだ。みーちゃん氏とは初対面だったが、話も弾んで楽しい一夜だった。娘も終電近くの電車を待つ頃には慣れたようで、笑顔も見られた。
さて、食事の前に“ららぽーと”へ寄った。そこの船橋そごうで、光学機器の処分セールをしていた。昔々に欲しかったアストロスキャン2001が
60% OFF
となってるではないか。う〜む、む、みーちゃん?と、OKが出た。またまた衝動買いをしてしまった。
アストロスキャン2001は右図(取扱説明書の表紙写真)のような樹脂筐体のニュートン式反射望遠鏡で、対物凹面鏡の直径は
108mm、焦点距離は 445mm
という極めて明るい光学系を持つ広視界望遠鏡というジャンルの製品だ。添付されたアイピース(接眼レンズ)のケーニヒ
28mm
で16倍率視野角3度と、双眼鏡のような性能。だから、惑星などを高倍率で見るものではなく、のんびりと星空散歩をするといった類の望遠鏡だ。
娘を抱えていながら大きな荷物を増やしてしまった。したら、友達が持ってくれた。う〜む、お客様に荷物を持たせてしまった。…感謝。
友達を駅まで送った後、娘を寝かしつけてから月(鏡筒口に手をかざして減光)や
M42
へ買った望遠鏡を向けて、女房と交互にアイピースを覗きながら「おお」とか(深夜なので)小さく歓声を挙げた。こんなに大きなお月さまを見たのは随分久し振りだ。寒さも忘れて見入ってしまった。
今夜再び望遠鏡をのぞいた。デジカメ(OLYMPUS C-1400XL)を使って、アイピース越しに月を撮ってみた。左の写真がそれ。元々の画像をおよそ3分の1に縮小しています。
そうそう、上述“そごう”の店員さんが、「奥にまだまだ望遠鏡があるけど、どう?」などと、まるでどっかのあやしい売り子さんのようなことを言っていた。小口径の扱いやすい天体望遠鏡や高級顕微鏡、高級双眼鏡などもあったから、ご近所の方はのぞいてみては如何?
1999年12月20日〜
今朝方カウンタが 30,000 をヒットしたようだ。
月並みですが、みなさまのご愛顧ありがとうございます。今後とも宜しくお願いいたします。
来年はミレニアムイヤーということで、年賀状にも 2000.01.01
のスタンプが押される。
その締め切りが今日だった。ウチでも大した量ではないが年賀状を作る。「書く」ではないのが現代風かな?
カラープリンタの普及で、今年の年賀状あたりからカラー白黒比がほぼ同じ感じだ。
ご多分に漏れず、娘を配したフルカラー画像がミレニアムイヤーを祝う葉書の図案である。昨夜遅くまで、ジーコジーコとプリンタが唸りをあげていた。PC
を使っての図案だから、トップページ画像に転用しようなどと思っている。
ところがである、結局今日郵便局に持ち込めたのは十数枚であった。間抜けなことにプリンターリボンが切れてしまったのだ。トホホ。午前3時を回っていて、深夜営業のディスカウントストアも流石に閉店している。と言うことで、結局ミレニアムスタンプは諦めてしまった。こんなことなら、早く寝てしまえばよかったな。今日は一日、睡魔にさいなまれた最悪な日だった。
元旦の配達、締め切りにはまだ間がある。間に合わせるつもりだが、これからの方々もプリンタのインクやリボンの確認は事前に行いましょう(苦笑)
1999年12月16日〜
工藤の巨人入りが決定したとき、みーちゃん氏が「予想通りになったねぇ」と言った。
年齢を考えれば、FA
宣言は引退をにらんだものになるのが当然で、その帰結として巨人に移籍したいと考えるのは賢い選択と思えた。引退後、「元巨人軍」という看板がなにかと役に立つだろうことは、プロ野球に関心のある方でなくとも察しがつく。
しかし、そんな予想をしながらも、それは間違っていて欲しいと思っていた。
他人の人生だから、とやかく言う筋合いは勿論ない。ただ感想としては、ダイエー球団の対応に大した非はなかったんだろうなぁ、悪者にされて気の毒だなぁというものだった。優秀なピッチャーは、優秀な勝負師であることを忘れてはならないのだろう。
さて、大阪府知事の噺も興味深い。
裁判に出廷し身の潔白を主張することも公務であることに気付かない人物に、知事としての適正があるのかが疑問視される。
真実はどうあれ、推してくれた人々に対する報い、そして知事としての責任として仕事を公約に則って全うするというのは当然だが、身から出た錆とはいえ裁判に臨み府知事の威厳を死守する義務もあると感じた。
1999年12月11日〜
先週末に日本SF作家クラブが選出する日本SF大賞の今年の受賞者が発表された。
大賞は、新井素子さんの>『チグリスとユーフラテス』が受賞した。とても好きな作家の一人である素子さんの受賞は他人事ながら嬉しいけど、『チグリスとユーフラテス』が今年日本を代表したSF作品なのかと思うと、少々寂しい気持ちもする。
さて、最近になって初めてマッキントッシュで遊んだ。椅子ではなく、アップルコンピュータの
Macintosh だ。昨年登場したブルー&ホワイトのカラーリングの G3 300
を使って、IDE HDD の増設実験をしたり、内蔵型の LS-120
が使用できるかなどを試してみた。
結果は“パソコンのこと”で紹介していきたい。
Macintosh
を本格的に触るのは初めてだった。感想は、ハードウェアは素晴らしいが、Mac
OS の使い勝手はそれほどでもないというものだ。勿論、Windows
に毒されているわけ。
しかし、Mac OS
という素晴らしいお手本を元に、なかなかよくできた GUI
を提供できているのが Windows
だと改めて思う。但し、タスクバーをマックと同じように、画面の上端に持ってくることが条件となる。
今の Mac OS が Windows
ユーザーから見て使い難く感じるのは、マウスのデザインが悪すぎることで第一印象を大きく損ねるからだが、それをさっ引いても、シングルタスクを前提とした操作体系が現状のマシンスペックには枷となっている点だろう。
画面サイズも 800×600 ピクセル以下が主流で CPU も 486DX 100MHz
が最速といった時代には、複数のウィンドウを開いて作業するなんてことは、マシンスペックがプアーで実用的とは思えなかった。しかし、300MHz
を超える動作クロックが当たり前、メモリーも 64MB
以上で画面サイズは 1024×768 が標準というのが昨年末あたりからの
Windows PC である。
複数のユーティリティを起動し、それらのウィンドウを開いて協調作業するのも一般的となっているのではないだろうか?そのような作業形態では、Windows
のインタフェイスの方が使いやすく感じる。
尤も、使いやすさと慣れとは密接に関係しているわけで、Windows
により慣れた私に Mac
の操作性を語る資格はないわけだが。しかし、あの丸くて小さいマウスは子供の手に合わせているとしか思えない使いにくさだ。
1999年12月5日〜
NHK杯(国際フィギュアスケート)を見ると、年の瀬を感じる。そして、早世した知り合いを思い出す。
先月、彼女の三回忌だった。ということを、競技を見ながら独り言ちた。
パソコン通信で知り合った彼女は、二児の母だった。オンラインだけではなく、オフラインでもいろいろと面倒をみていただいた。
パソコン通信から疎遠になりつつある頃、彼女の訃報を人伝で聞いた。それは、亡くなってから三カ月後のことだった。
その早すぎる死に腹が立った。やりきれない思いで一杯になった。
彼女はとても魅力的な女性で、彼女を求心力としてグループができあがっていた。
そのグループに加わっていたわけではないが、パソコン通信をはじめたのが彼女と同じ頃だったから、仲良くさせてもらっていた。また、ある人から真剣な彼女に対する想いを打ち明けられ、相談に乗ったこともあった。
今、自分は幸せに過ごしている。彼女の家族もまた、幸せであればいいなと思う。そして、彼女の知り合いたちもそうであればと。
1999年12月3日〜
「絶対おかしいよぉ〜、これぇ」
顔を洗っていた私の耳に、みーちゃん氏の声が飛び込んできた。朝の身支度に追われて生返事しかできなかったが、北朝鮮との国交正常化交渉を年内再開するとのニュースに対する非難であった。
彼女がとても不満に感じたのは、弾道ミサイル問題を「人工衛星打ち上げというのならば仕方がない」的な見解としている点だ。訪朝団の誰一人としてテポドンを目にした人はいないのかも知れないが、「国際問題として決着をつけるべき」ならば日本として追求しないというのは国民を莫迦にしている。他力本願も甚だしいではないか!ということのようだ。
太平洋戦争の責任問題を、米国の思惑におもねる形で国際的に糊塗してしまったとの後暗さが、日本の対外姿勢を煮え切らないものにしているのだろう。
第二次世界大戦は帝国主義の瓦解を促し、戦争直後、アジアの各国は再生のための混乱に陥った。
ソ連を牽制した日本の西側抱き込みを意図した米国の思惑によって、第一次世界大戦の敗戦国のそれに対して日本の戦争賠償責任はずいぶん軽くなったようだ。戦争賠償を受ける立場にあったアジアの国々は、自国の混乱のために充分な主張もできなかったというわけである。
日本は敗戦を終戦と呼ぶように、戦後社会はあたかも戦争被害者のごとく振る舞っている。ところが、マスコミをはじめ戦争に荷担したモノ共は、戦前のままの名前で正義面を臆面もなく晒している。名前を変えればいいと言うものではないが、イタリアやドイツなどの姿勢と比べると、過去の間違いをとぼけているとしか思えないのは気のせいなのだろうか?
とぼけるつもりならば、その方針を徹底すべきなのだ。太平洋戦争の責任は、充分償ったのだと胸を張ればよい。曖昧であるには、外交テクニックが幼稚過ぎるのだろうね。
腰抜け外交を平和主義と宣えば、嘲笑われても仕方がない。イギリスの老獪な二枚舌外交やアラブの駆け引き上手な外交までは期待しないが、せめて国の考えははっきりとした言葉で相手国に言い渡す姿勢を考慮すべきと思う。勿論、外務省などは常に痛感しているのだろうけど。
自衛隊を持つように、日本が自衛権を主張して軍備を持つことは国際的に認知されている。自国の安全保障を脅かす問題に関して、人道主義で糊塗するのはあまりにも的はずれではないかと思うのだが…。妥協してはならない問題と妥協せざるを得ない問題を峻別できる人選をして欲しいものだ。
戦後の政党政治を瓦解させた人物では、期待するのも詮無いというものか…。
それにしても、みーちゃん氏は歯に衣着せない…
1999年12月1日〜
ウチでテレビが点いていない時は、私しかいないときだ。みーちゃん氏が見たい番組が無く、更に娘が寝ていなければ、終日録りためたビデオテープが再生されていることが多い。その番組は、ETV
の幼児向け番組「いないいないばあ」と「おかあさんといっしょ」。
「これがなかったら、たいへんよぉ〜」というのは、みーちゃん氏の言。テレビに映っているものに関心を寄せるようになって以来、娘はそれら番組の虜となっている。もちろん興味を示さないコーナーもあるが、着ぐるみの人形劇や体操のコーナーなどでは、身動きすらしないでひたと画面を見つめている。不気味だ…。しかし最近では、画面を見ながら奇声を発したり(歌っているのだろう)、飛び跳ねたり(踊っているのだろう)している。
さて、娘がそれら番組に興じているときは大抵、みーちゃん氏は洗い物か読書、私は
PC に向かっている。ウチでは1階を1LKとして使っていて、PC
も同じ部屋に置いている。なんでもその部屋でできるようにレイアウトして、家族全員が就寝までその部屋で過ごす。要は、うさぎ小屋住まいという次第。
ETV
の幼児向け番組は偉大なのかも知れない。みーちゃん氏の友達に聞いても、その子供たちは同じ番組を欠かさず見ている。いつもは傍若無人のその子たちも、その番組を見るときはおとなしく見入っているのだそうだ。大人から見たらちゃちと思える内容も、児童(と言うより幼児かな?)心理のたゆまぬ研究に裏打ちされた高度な計算の下に構成されているのかも知れない。もちろん、長年積み重ねられた貴重な経験の集積でもあろう。
ところで、そんな番組を BGM として PC
に向かっていたら、気になる曲を耳にした。「鬼のパンツは いいパンツ
つよいぞぉ〜 つよいぞぉ〜」のフレーズ。そう、「フニクリ・フニクラ」の替え歌だ。番組中の歌には作詞作曲者のテロップが入るが、この曲に関してはタイトルの表示だけだった。この替え歌が、教育番組で何の断りもなく放送されるほどポピュラーになっていることに吃驚したという次第。
尚、先にリンクで引用した「ごんべ007の雑学村」によると、「おにのパンツ」の作詞者は不明なのだそうだ。
ちなみに「おかあさんといっしょ」は、意外と味がある歌が披露されたりしていて結構気に入りだしている。
1999年11月30日〜
「ユー・ガット・メール」を観た。おもしろかった。
映画館には暫く行っていない。娘の年齢では子連れでの観劇は迷惑であろうし、集中もできないから楽しくないと思う。みーちゃん氏(女房殿という呼称にクレームがつきました…)の実家に娘を預ける手はあるものの、今秋
DVD プレイヤーを買ったこともあって、専らレンタル DVD
を利用している。
DVD
は便利だ。レンタルビデオにありがちな画質劣化も無いに等しいし、見終わってから巻き戻しする必要が無いのも助かる。尤も、タイトルはまだまだ少なく、ビデオと違って販売タイトルの内レンタルが許されているものも少ないのが現状だ。これらは、プレイヤーの普及率が思ったほど伸びずニーズが少ないことに起因しているのだろう。しかし、来春発売の
Playstation 2 が DVD Video
の再生をサポートするそうだから、一気にニーズは膨らむと思う。
米国ではインターネットと郵便を使った DVD
レンタルが始まっているそうだ。インターネット通販と同じ決済手法を使い、専用の返送用封筒と一緒に
DVD
タイトルがメンバーに郵送される。視聴が終わったタイトルは、添付の封筒に入れてポストへ投函するという仕組みだ。封筒のデザインを工夫して郵送料さえ抑えることができれば、店舗が必要ない分比較的少ない資本で起業できるシステムと思える。後は、レンタルするタイトルの損害保険次第ではないだろうか?
DVD
プレイヤーの導入は、みーちゃん氏の要望が大きかった。と言うか、やっぱり衝動買いである。郊外型のスーパーマーケットでディスカウント販売されていたデモ機でかかっていた、「エアフォースワン」のサラウンドサウンドの迫力に感動したそうだ。そのため購入したものは、サラウンドシステムが付属したオールインワンタイプの製品である。パイオニアの製品で、5ch
の AV アンプと DVD
プレイヤーの融合製品だ。将来的に一部を買い換えて機能をアップグレードするには適さない反面、なかなか好ましいデザインとコンパクトな点はとても気に入っている。巨大で反応の鈍いリモコンには辟易するが…。
しかし誤算だったのは、CD-R に対応していなかった点だ。TV
番組のビデオ録画は、いわゆる時差視聴のためにしか使用していない。そのため、S-VHS
テープを使って重ね録りして使っている。しかし、ハウツーものなど有用な情報を提供している番組は、何度も繰り返して見ることがある。滅多には無いものの、そのような番組の録画テープは
CD-R を使用して Video CD
にしてしまう。こうすると、特定箇所を何度も見たりするのにとても都合がいいし、TV
台の抽斗に結構な数をしまっておける。
それら録りためた CD-R を今までは PC で見ていた。
実は、実家ではカラオケ機で CD-R に書き込んだ Video CD
を見ることができるため、娘のビデオを Video CD
にして送っているのだ。そのため、作成手順は面倒ではあるが Video
CD を作り慣れてしまったのである。
DVD プレイヤーは Video CD に対応している。お陰で、DVD
プレイヤーで娘の Video CD
などが見られるものと期待していた。しかし、購入した製品は CD-R
を認識しないそうだ。
こんなところに衝動買いの弊害が出た。事前に調べれば簡単にわかったことだ。実は、DVD
メディアを読みとるための光ピックアップの波長では、CD-R
を読むことができない。CD プレイヤーの光ピックアップでは CD-R
を読むことができる。そのため、CD-R を読むことができる DVD
プレイヤーには、2つのピックアップを付けるなどの CD-R
対策が必要となる。今回購入した製品では CD-R
対策は無く、はなから対応しないと謳われていた。
All-in-Wonder 128
然り、学習が足りないのはお恥ずかしい限りである。
この DVD
プレイヤーには後日談があって、このプレイヤーを設置した翌日に長年使っていたテレビが壊れ、結局それも買い換えることになった…。
1999年11月29日〜
昨日の続きである。衝動買いの話をするつもりなのに、くどくどとディスプレイアダプタの話をしている。よく女房殿に「話が長〜い」とうんざりされる…。そうそう、最近彼女のページができた。子育てのページも更新してくれるそうだ。これらもご贔屓にしてくだされば幸いです。
さて、今使っている PC
は主に中古のパーツを寄せ集めた、いわゆる自作 PC
だ。複数の処理を同時進行させることは殆どないので、1台しか使っていない。この
PC の FSB (外部クロック)、標準値は 66MHz
だ。しかし、オーバークロックして 75MHz としている。すると、CPU
とメモリー間は 75MHz
でデータのやり取りをするようになる。更に、CPU
自体の動作クロックも FSB × クロック倍率となっているので、FSB
の増加度合いに従って上がる。従って、全体の処理速度もそれなりに上がるという次第。しかし、条件によっては弊害もある。動作クロックが上がると、発熱が大きくなる。一定の温度を超えれば動作しなくなったりする。また、データのやり取りが不安定になることもあり、そうなるとデータのやり取りをやり直す頻度が上がって、却って処理速度が遅くなる。
ちなみに、現在流通している PC の殆どは、100MHz の FSB
を採用している。ウチの PC
は、少なくとも1世代前のアーキテクチャーなのだ。
PCI BUS の動作クロックは 33.3MHz 以下と決まっている。従って、FSB
が 66MHz では2分の1クロック、100MHz ならば3分の1クロックと FSB
を分周しており、翻って、FSB は 33.3MHz
の倍数が設定されるのが一般的だ。そのため、FSB を 75MHz にすると
PCI BUS クロックは 37.5MHz となってしまう。その結果、PCI
の機器に不具合が生じる可能性があることは知っていた。しかしウチの
PC では、運良く問題は発現することはなかった。
ところが、All-In-Wonder 128 は 37.5MHz では TV
機能などが正常に動作しない。これは購入前から知っていたことではあるが、やっぱり動作しないことを確認してがっかりした。
さて、FSB を 66.6MHz
にしてみた。ちゃんと動く、ドライバも正常にインストールでき、TV
も綺麗に映った。ところが、HDD
のアクセスに異常。いやな予感…。
以前、ISA BUS に接続したサウンドカードを、PCI BUS
のものへ替えようとしたときのことを思い出した。貰い物のサウンドカードを取り付けたところ、SCSI
HOST ADAPTER の SCSI 機器走査画面で PC が止まってしまった。また、PCI
BUS
のミキシングカードを増設しようとしたこともあったが、やはり同様な現象が出て断念した。後日に別の
PC
へ接続して正常動作を確認しているので、それらのカードには不具合が無いと思われる。結局、ウチの
PC には PCI BUS MASTER
転送する拡張カードは2枚までしか取り付けられないという結論に達した。これは、BUS
MASTER 転送をしない PCI
拡張カードでは問題が出ないことで裏付けられたと考えている。
どうも All-in-Wonder 128 は、ビデオキャプチャー機能に BUS MASTER
転送を使っているようだ。HDD のアクセス異常の後に PC
を再起動すると、SCSI
機器走査画面でハングアップしている。しかし、諦めきれない。マザーボードの
BIOS 設定を見直すことにした。
結局ウチの PC では、FSB を 60MHz
にしてやっと安定動作することがわかった。しかし、これではパフォーマンスがあまりにも低下してしまう。対策としては、マザーボードを更新するか、SCSI
HOST ADAPTER を IOI 9200UW などの SCSI BUS
を複数チャネル持つ製品への更新が考えられる。しかし、マザーボードの更新にはメモリーの買い換えも必要になる。SCSI
HOST ADAPTER の更新は現実的だが、9200UW は決して安くない。また、Adaptec
のドライバーに依存しているものも多く、すんなり置き換えできるかも不安である。
逡巡した結果、セカンドマシン用にすると女房殿(と自分自身)に言い訳して押入にしまい込んだ。
実は、All-in-Wonder 128
は彼女に相談することなく買ったのだ。後ろめたさも手伝って、なんとも後味の悪い結果になってしまった。
そしてやっとはじめに戻る。
ぶらりと立ち寄った家具店に、マッキントッシュの「ヒルハウスのためのラダーバックチェア」とそっくりなのが置かれていた。女房殿が好きな椅子だ。と、やっぱり彼女が反応した。ただ、賢明な彼女は吟味している。値段が安すぎることに首を傾げながら椅子を持ち上げて、その軽さにもやっぱり首を傾げている。店員によれば、ラダーバックチェアは数社からレプリカがリリースされていて、それはイタリア製のものなのだそうだ。値段もメーカーや代理店によってまちまちだそうで、そこでは年2回の招待セールに伴う目玉商品として、今回はラダーバックチェアを廉価販売しているとのことだった。
レプリカという言葉に気をそがれたのか、彼女は結局その場を立ち去った。
それでも気になって、書店で関係雑誌をぱらぱらとめくってみたりしたが、マッキントッシュの本さえなかった。しかし、帰りの車中で気分が盛り上がってきたようだ。自宅で遅い昼食をとった後、結局買うことに決めた。
夫婦そろって衝動買いというお話…お粗末。
1999年11月28日〜
1999年11月27日〜
1999年11月26日〜
毎日、片道1時間半を満員電車に揺られて通勤している。他人ともみくちゃになってつま先立ちを耐える姿はなんとも侘びしいことだが、JRもダイヤ改正で改善するなどの考えはないらしい。
そんな通勤時間は、1日の8分の1にあたる。有効に使わなくてはもったいない。(尤も、ぼぅっとするのも好きなのだが…)そこで、本を読むようにしている。満員電車での読書は同乗者に対してなにかと迷惑もかけることになるのだが、上背の高さを利用して、小柄な人の頭上にプレッシャーを醸し出す程度に留めるようにはしている。
もちろん、できるだけ角に陣取ることを心がけていることもあってか、運良く?いまだトラブルに見舞われてはいない。
ところで、満員電車で辟易することは多いが(私の読書も、苦々しく思っている他人がいることだろう)、私にとって辛いのは匂いだ。ヤニ臭いおやじの吐息は、なんとかならないものだろうか。ホームで慌てて喫ったのであろうおやじに近寄られた時の不快感は、考えただけでも怖気がする。
人は匂いに慣れてしまいやすいものだそうだ。ご婦人などにありがちな香料による異臭は、香水などの薫りに慣れてしまってつけ過ぎたなれの果てだそうだが、煙草呑みもまた、ヤニ臭さに慣れてしまっていて、己が発する強烈な異臭に気づいていないのだ。
煙草を嗜まない人というのは、煙草の匂いに敏感だ。居酒屋やパチンコ店などに十数分も居れば髪や服がヤニ臭くなるが、風呂に入るまでその匂いは取れない。お陰で、家族にヤニ臭いのを嫌う者がいれば、匂いが消えるまで煙草呑みにとって謂われの無い非難を受けることになる。
しかし、煙草を嗜まない者は強烈な異臭として感じているのだから、非難するのは当然というわけだ。
尤も、私自身も数年前までは煙草呑みであったから、喫いたくなる生理は理解できる。だから、文句は言うが非難はしない。ただ、異臭に気づいていないというのは問題だ。
むせるほどの匂いの帯を曳きながら通り過ぎるご婦人、そして煙草呑みの方々、自分は臭いことを自覚して欲しい。
1999年11月25日〜
今日から、このページの体裁を変えます。まぁ、ここを読む奇特な方は少なそうですし、私の備忘録としてこのスペースを使いましょう。
一緒に CG
を置いておきますが、新作は将来的にも難しいかも知れません。
「蝉時雨」も、先月にお陰様で一周年を迎えました。アクセスカウンタも2万を数え、思いの外の結果に驚いています。また、もともと娘の成長記を残すつもりで始めたのに、結局こんな状態になっています…
娘のページは、いつか女房殿が更新してくれるものと期待して、今暫くこのままでしょうねぇ。ただ、使っていない赤ちゃん用品なんかが増えつつありますし、PC
の部品なんかも余剰してますから、フリマのページに模様替えしたりなんかして…とか。
ところでアクセスカウンタですけど、こちらではニフティーのカウンタを使っています。ニフティーのカウンタはとても回転が渋くて、例えば常時インターネット接続している環境から私が自分のホームページを閲覧した場合、各ページに何度かアクセスしたり、幾度かリロードしたとしても、その日のカウンタは1つしか上がりません。アクセスしているIPアドレスが変わらない限り、カウンタは1カウントしかしないのですね。至極まっとうな数え方ですが、意外とこのようなカウンタは少ないようです。多くのアクセスカウンタは、リロードすれば上がるものが多いようです。ニフティーのそれは、まるでクリック補償のバナー広告のカウント基準のようです。
尤も、ホームページを作っている身としては、カウンタが上がっていくのが励みですから、カウンタの進みが速いに越したことはないと考える向きは理解できますけれども。
そう言えば今夏、日本のインターネット最大の話題であった東芝サポートについて問題提起したホームページは、ニフティーのユーザーホームページでしたからアクセスカウンタもニフティーのものでした。にもかかわらず、わずか3ヶ月の間にそのサイトは1000万カウントを数えたのですから、本当に凄い反響だったと思われます。
日本の現状では、インターネットを日常的に利用している人は多数とは言えないでしょう。また、ソースが直接情報を発信できるインターネットは、いわゆるマスメディアと名乗って飯を食っている連中にとっては最大の驚異でしょうから、できれば潰したい対象なのでしょうね。更に東芝が大口スポンサーであることもあってか、そんな気分を反映するように、既存のマスメディアの取り上げ方の中に東芝の行為に対する非難は少なく、インターネット情報の危うさや不確かさをことさら強調したり、問題提起した方の過去の行状を暴き立てることにより、東芝の行為を正当化するかのような情報操作に思しき感情操作をねらったとしか思えない記事さえ見られました。
しかし、現在の米国経済の好調は、インターネット関連企業株式の高評価が支えているようです。日本は米国と異なり、インターネットプロバイダと家庭とをつなぐ安価なインフラが整備されていません。そのため、インターネットの普及は遅れがちです。それでも人口密集地を中心に、ケーブルテレビやダム端末,電力系無線端末など、インターネットへの常時接続を安価に提供するインフラが今世紀中に実用化されようとしています。米国並みにインターネットが普及する日も、それほど遠くないでしょうね。
そんなことを考えながら、東芝サポート問題に起因した一連のニュースは、(一部ではあるものの)マスコミのヒステリーを見た思いがして興味深いものでした。
JIS省略漢字は嫌いです。尤も、感傷でしかないかも知れませんけど…。
蝉時雨の “蝉” って、ほとんどの人の画面では “虫”偏 に
旁(つくり)は “単”
と表示されてるでしょう。でも、本来は旁が “單”
で表記する文字です。このように、コンピュータの画面で表示される形と本来の形が違う字体は、結構あります。鴎外、石鹸、祇園、諺、飴、顛末
… どこか違和感のある文字たち…。
コンピュータで日本語を扱えるようになったのは二十数年前のことだそうですが、表示や印字の能力が低かったために、複雑な形を持つ漢字に対して表記の省略が行われました。更に、符号体系の規模をより小さくするために、形が似ている漢字を同じ漢字として扱うことにもしたのです。まぁ、この辺りの事情は理解できますけど、この作業を通産省が監督する日本工業規格の中だけで実施してしまったことは、理解に苦しみます。このあたりの事情は、加藤弘一氏の
「文字コード問題早わかり
2 漢字編」 などを読まれると参考になるでしょう。
それにしても、文字とはそれ程安直に変えてしまうべきものではないでしょうにね。…とはいえ、この問題、私は深刻なものと思うのですけど、あまり話題にはなりませんね。一般には、その程度のものなのでしょうか?。
そんなわけで、日本語として正式には認められていない形を持つ文字が流通し始めます。そして、コンピュータは急激に社会に浸透し、それに伴って省略漢字たちは無視できない存在になりました。
昨年、JIS省略漢字を漢字のひとつの形として、日本語と認める発表があったようですね。無理もないでしょう。コンピュータは、欠くことができない教育支援機器の一つとなりつつあります。実社会では、筆を執るよりもキーボードやタブレットを操ることの方が多くなってきましたし…。
本件に関しては事実関係を確認してないので、私の記憶違いかも知れません。でも、入試などで省略漢字を間違いとされる受験生がいるのだとしたら、それはあまりにも気の毒です。もし、文部省がJIS省略漢字を正しい日本語と認めない見解なのだとしたら、現実に目を瞑る卑怯な姿勢といえるでしょう。
さて、日本アイ・ビー・エムの日本語OSでは、標準搭載されている日本語フォントは省略漢字ではなく、活字と同じ字体が採用されていました。JIS規格の文字コードが省略漢字を採用している以上、省略漢字が蔓延るのは仕方がありませんが、日本アイ・ビー・エムのような姿勢を日本マイクロソフトや日本電気が示せば、事情はずいぶん変わっただろうと思うと残念でなりません。
今からでも遅くはないとする考えもあるでしょうけど、代表的なコミュニケーションの一手段として、文字コードが通信インフラを駆け回るようになってしまった現在では、同じ言語圏であるにもかかわらず同一コードが受信者の環境によって異なる字体で表示されるのは都合が悪いでしょう。同じ情報を共有できなくなってしまっては、正常なコミュニケーションの手段としては認知できませんね。
残念なことですけど、省略文字はしっかり定着していると思います。だからといって、省略漢字に取って代わっている従来の字体を廃止する訳にはいかないでしょう。活字の印刷物の方が、圧倒的に世の中に出回ってるのですから。個人的には、省略漢字を活字と同じ伝統的な字体に直し、新しく文字コードを追加して省略漢字に当てるってのを希望するんだけどね。数年間に亙って同一コードが省略漢字と伝統的なものと二つの字体を持つことになるけど、最終的には収まるところにちゃんと収まりそうじゃない?反対に、伝統的な字体を追加コードとしたら、省略漢字は今以上に幅を利かすでしょうね。
富士通ミドルウェアの Fontcity2
のように、先の日本アイ・ビー・エムの日本語フォント同様に活字体を採用しているフォントシリーズも存在します。私個人は、このような伝統的な字体のフォントセットを使っています。データの共有における不都合(そのほとんどはパソコン通信上の不都合ですが)は否めませんけど、やっぱり表示や印刷には省略漢字ではなく、私にとって見慣れた字体で表記されていた方が気持ちがいいのです。それに、人名を扱うときは省略漢字はとても不都合ですしね。姓名は省略漢字で表記する習慣は無いですからね。まるでハングルと漢字の事情に似てますね。
また、外来語をカタカナで表記するってのも厄介ですね。
情報の流れが良くなって、よりダイナミックに世の中が動くと、新しい発見や発明、事件なんかも発表や発生と同時に世の知るところとなるでしょう?このような事象が外国で発生した場合は、それを指したり説明する用語も外国語だよね。それらが日本語に咀嚼される暇もなく、外国語のまま即時に流れ込むわけです。だからだろうね。外国語(そのほとんどは英語だけど)混じりの文章が多くなりました。このサイトでも英単語がアルファベットのまま日本語の文章の中に散在しています。
でも、新聞の様な縦書きの場合、アルファベット混じりはできるだけ避けたいわけで、カタカナに翻訳することになりますけど、どういった発音を採用するかによって表記は随分変わるでしょう?ちょっと古いけど、米国のレーガン元大統領を当初、「リーガン」と表記したり「レーガン」と表記したりと記述が報道機関によって不統一でした。合衆国大統領の名前の記述を統一しないわけにはいきませんから、「レーガン」と記述統一するなんてことまで報道されましたね。こんなわけで、カタカナに翻訳した途端にふたりの人物が出現する珍事が起こったりしますね。勿論、レーガンさんのように統一しようってな積極的な行動があればいいんでしょうけど、統一作業もタダじゃないから余程の場合を除いて行われないんじゃないかな?つまり、同じ事象を指す複数のカタカナは、自然に一つの記述に淘汰されるに任すってわけでしょう。
ところでHTMLでは、縦書き用のタグが追加されないのでしょうかね?小説なんかも数多のホームページで連載してるでしょう?こういうのって、やっぱ縦書きで読みたいって思いますけどね。これもまた感傷に過ぎないのかな…。
と、現状 32bit の Windows
版のみではあるけれど、ネットスケープやインターネットエクスプローラで縦書き表示するためのプラグインモジュールがフリーウェアとして公開されているのを見つけました。araken氏の
QTView for Windows 95
がそれです。どんな具合かと思い、こちらに試験的縦書きページを作ってみました。内容は、《ぱら☆あみ》本
向けに書き下ろそうとしたままほったらかしてあるパロディ小説の断片です…。いつか書き上げて載せていただくかも知れません。
褪せない想いはあるものよ
「そうね、私たちの物語はこれから始まるの。もっともっとたくさんの人に出遭って、そして、恋をするわ。そしてね、幸せになるの」
愛らしい戦士たちの物語はひとまず大団円を迎えたけれど、新しい物語の開幕でもあるわけ。
カーテンコールでぺこりとお辞儀した彼女たちは、面を上げるや、それってな勢いで舞台から飛び降りて駆け出した。
幾筋もの花道。扉は開け放たれ、光の中に彼女たちの後ろ姿がシルエットとなって…
そして、青空の下、歩調をゆるめる。
息を弾ませて歓びに輝かせていた表情をキリッと引き締めて、胸を張って歩き出す。
「希望は胸にあり、世はことも無しってね☆」
マンガ雑誌は、実家が理髪店だったんで、物心ついたときから生活の一部です。TVを見るようにマンガを見てました。
そんな環境だったですが、小学校時代はマンガ見てるなんてことを友だちの前で言えなかったな。
あの頃、TVの 『ルパン三世』
以外、マンガの話しってのは話題に登らせることが出来ない変な雰囲気がありました。硬派が流行ってたのかな?
当時は実写流行りだったってのが答えかも知れません。
『仮面ライダー』 や 『帰ってきたウルトラマン』 、
『ミラーマン』 に 『シルバー仮面』
、TVを捻れば特撮ヒーロー番組が目白押しでした。
実写の前では、マンガは紙芝居と変わらないってのが、当時のぼくらの価値観だったように思います。
そして、TVアニメとマンガってのは、特に区別してなかったですね。アニメーションもTVマンガと呼んでた時代です。
そんなわけで、親にもマンガを読むなと言われることもなく、そして、マンガが好きって意識する事もなかったわけです。
ただ、ひょんなことから弓月光さんの 『ぼくの初体験』
を読んで、この単行本がどうしても欲しくなったんですね。ところが、当時の弓月さんは週間マーガレットで筆を揮ってましたので、少女漫画なわけです。当然、買える雰囲気じゃない…。
ガールフレンドにお願いして、買って来て貰いました。そして、
『エリート狂想曲』
にもはまりましたね。ちょうど主人公と歳が同じってこともあって、感情移入してましたし。作中に登場する中学入試問題を、解いてみたりとか…。あの頃は哲也とそう大差ない学力だったけどなぁ…。
もう廃刊になったようですが、 《少年キャプテン》
って漫画月刊誌がありました。その前身の 《リュウ》
で連載されていた、山田ミネコさんの 《パトロールシリーズ》
が無性に読みたくなったんです。理由はもう忘れてしまいましたけど。
ある日、ふと読みたくなったんです。でも、その時は作者名も作品名も思い出せなくって、神保町の高岡書店や三省堂で、徳間の漫画単行本からそれらしいものを探したりしてました。で、興がわいたんですね。
それまでに、いろんな漫画の話しを聞きかじってました。ただ、ほとんど少女漫画でしたから、読む機会を逸してたんです。ひとりじゃないことも手伝って、少女漫画だろうが構わず興に乗じて読みあさりました。
『ベルサイユの薔薇』 とか 『ハイカラさんが通る』 とか、
『日出処の天子』 、 『エースをねらえ!』
、エトセトラえとせとら…。
知らない人の方が多いでしょうけど、昭和24年を中心に、昭和22年から26年生まれの漫画家さん方を指して、
《24年組》 って勝手にグループ化してるんだそうです。
まぁ、改めて顔ぶれを見れば、わざわざ 《24年組》
などとして特別視したくなるのもわかります。今の少女漫画を、素晴らしい作品たちで形作った作家のオンパレードですから。
青池保子、あしべゆうほ、亜月裕、いがらしゆみこ、池田理代子、一条ゆかり、井出ちかえ、大島弓子、大矢ちき、風間宏子、金子節子、河あきら、川崎三枝子、岸裕子、木原敏江、樹村みのり、久木田律子、小室しげ子、ささやななえ、里中満智子、汐見朝子、志賀公江、柴田昌宏、庄司陽子、竹宮惠子、忠津陽子、辻村弘子、土田よし子、萩尾望都、ひだのぶこ、牧野和子、まるやま佳、美内すずえ、みよしらら、睦月とみ(矢代まさこ)、もりたじゅん、森谷幸子、山岸凉子、山田路子、山田ミネコ、大和和紀、山本鈴美香、山本優子、弓月光、和田慎二
(以上、敬称略)
読んだのは、ほとんど 《24年組》
の作品だったってなオチですね。
少女漫画ってなジャンルに抵抗があって読むことがなかったんですが、このときは眼から鱗でした…。女性向けの作品だろうが、煎じ詰めれば人類向けの作品なわけで、男性が読んだらおもしろさが減じるなんてことも無いわけです。
同じ事は、ジュブナイル小説やアニメーションなどなど、なんにでも当てはまります。子供向けだろうが、大人がみたらおもしろさが失せる作品などは、所詮、子供にも受け容れられないことが多いと思いますよ。良いものは、やっぱ普遍性を持つのでしょう。
谷山浩子さんって、シンガーソングライターなんですけど、10代も終わりになった頃にファンになりました。
ちょうど、デニス・デ・ヤングの 『デザートムーン』
をカヴァーしたシングルレコードが出てたころです。
ファンになったきっかけは、コンサートに行ってサインを貰ったからですね。なぁ〜んて単純。田舎ではコンサートなんてそうないです。で、たまたま新聞の文化欄に浩子さんの
『たんぽぽたべて』
って曲の評が載ってました。マンガ世代に受けてる不思議な歌ってな評だったような憶えがあります。で、興味を覚えたんですね。
あの時のコンサートは、ひどかったなぁ。当時はバンド構成だったんです。そして、なんとも下手なバンドでした…。
上京してからは 「ぴあ」
なんかをチェックして、東京近郊で行われる浩子さんのコンサートへ出かけるようになりました。そして、ファンクラブなるものにも入りましたよ。
バンド構成は、神奈川県民大ホールのコンサートが最後だったかな?ちょうど、松田聖子と郷ひろみが週刊誌をにぎわせてた頃ですね。
その後、101人コンサートと銘打って、浩子さんのピアノと石井AQさんのシンセサイザー、時にゲストプレイヤーを迎えるってなスタイルになって、酔える内容のコンサートになってゆきました。
毎年恒例とまでなった青山円形劇場のコンサートは、多彩なゲストと相まって、特に素晴らしいコンサートです。
'92年頃から、オーチャードホールのような大きなホールでのコンサートも再開されました。以前のバンド構成ではなく、オーケストラなんですよね。オーチャードホールでの初演は
NHK BS でも中継されましたが、聴き応えありますよ。
やさしい気持ちになりたいときなんて、谷山浩子さんのコンサートに出かけてみてはいかがでしょう?
彼女のは、そんなすてきな歌なんです。
金返せってごねたくなるくらい不味いものを食べさせられたってことは、今までなかったです。
ところが、今年('98)のゴールデンウィークに家族で行った観光地の蕎麦屋。信州そばの看板を掲げた店で、とんでもないものを食べさせられました。
場所は、長野県のJR飯田線天竜峡駅にほど近い店。駅から天竜峡谷へ向かうには、一旦飯田線を横切ります。この踏切を超えてすぐ右手にある飲み屋風の店なんですけどね。
女房がとろろ蕎麦を、私ゃ山菜蕎麦を注文しました。で、とろろ蕎麦、温かいかけ蕎麦にとろろがかかってました。しかも、今にも溶けそうな茹ですぎの蕎麦…。
粘りが消えて白い澱のように漂うとろろ芋の繊維と、千切れ千切れの蕎麦たちが織りなす、うすい汁の中でのハーモニー。思い出すだに腹立たしい。
スーパーに売ってる深大寺蕎麦の乾麺を、自分で茹でて食った方がナンボか旨いよぉ〜!
やじきた学園道中記って市東亮子さんのマンガがありますが、このマンガに触発されてツーリングに出かけたのは‘94年の初夏でした。
この頃は、衝動的にツーリングへ出ることが多かったなぁ。突然、興福寺の阿修羅像が見たくなって、深夜の1号線を西へひた走ったりとかね。
このときは日光でした。ちょうど
『やじきた学園道中記日光編』
を見てて、奥日光へ行きたくなったんです。
名付けて、「やじきた日光編ルート」
日光市内を観光してから、いろは坂登って奥日光へ、取り敢えず華厳の滝は押さえて、余裕があれば中禅寺湖有料道路使って中禅寺湖と背後に聳える男体山をはじめとする日光の山々を眺望する。
R120に戻って龍頭滝見てから、戦場ヶ原へと登ってくの。でも、登り切ったらすぐ左に入って、最高に景色の良い小田代が原へ。小田代が原までの道がまた最高。それから、R120へ戻って戦場ヶ原へ。
湯の滝を眺めてから、ちょっと冗長するけど金精峠登って菅沼観るわけ。で、戻って日光湯本に一泊。
湯本では宿に荷物おいて、泉源から温泉寺まで散策して、まだ陽があるようなら刈込湖から光徳へ抜ける遊歩道を散策。
でも、暗くなるまでに引き返して宿に戻らなくてはなりません。捜索隊が出てしまいます。光徳へ抜けるには4時間は掛かるでしょうし…。
宿の予約はね、日光市内観光中に市の観光課へ寄って当日取ることが出来ると思います。
その晩は、ゆっくり温泉に浸かってお銚子つけて、まだ元気だったら星を見に湯ノ湖畔に散歩に行っても良い。
翌朝は早起きして、空がようよう紫がかる頃に出発。前夜に宿の人に言っとけば、大抵了承してくれる。おにぎり位用意してくれたりもするし。
朝霧立つ湯ノ湖畔を散策してから、急いで朝靄の中の小田代が原へ。
日が昇り霞が消えるまで、ぼんやりと木々と光の織りなす幻想的な舞台を眺めるわけ。しっかり余韻に浸りきって、満足したらバイクに跨って戦場ヶ原へ、ここからちょっとリキ入れなくちゃ。
行徳からR120を後にして、光徳牧場の方へ入って行く。そして山王林道−川俣林道へ。途中から舗装が切れてグラベルもいいとこ、オンには辛い、砂埃は酷いし…。でも景色は最高。太郎山の裏手を抜けて行くわけ。この林道、夜間は通行止めなのは
『やじきた』 にある通り。
川俣温泉へ到着。奥鬼怒である。ここから川俣湖へ向かうけど、川俣大橋を渡らずに左に入って林道湯西川線へ。
途中、河原で一服してお弁当広げてもいい。ここは湯西川温泉までずぅっとターマック。
湯西川沿いにR121まで下りて川治ダムから川俣温泉へ戻る。途中、黒部で左へ折れ一路霧降高原へ。んで、日光市内へ戻ってくる。
更に体力があれば、今市からR121を鬼怒川温泉へ足をのばしてもいいかも。
ここから、ちょっと北上して、もみじライン (日塩有料道路)
を使って西那須野塩原へ抜けるか、五十里湖を眺めつつR400にぶつかるまでR121を北上しても一興。
でも、西那須野塩原に出てしまうと、日光鬼怒川特別観光高速チケットは使えませんけど。
日光市内までは東北道と日光−宇都宮道路、またはR4を使うとして、これで東京起点に一泊二日コースです。
二泊三日なら、湯西川温泉に泊まるのがいいかな。あの辺りの林道はターマックだから、オン乗りのツーリングにもってこいなのです。景色良いし、脇は大抵が沢だしね。河畔にはすぐに下りてける。
このコース、日光起点に円を描いてるから、沼田から金精峠使って入ってもいいし、桐生方面からR122で入るのも、福島県からR121あたり使って入ってもいいね。勿論、那須塩原からも。
…時代でしょうね。今では小田代が原はマイカー規制、朝霧に煙る白樺の景色を見るには早起きだけじゃあ駄目そうです。
GODZILLA は思ったほどウケなかったのかな?
ロードショウ後に上映期間延長ってこともなかったようですね。
去年の 『もののけ姫』 や 『タイタニック』
の記憶が新しいこともあって、個人的に盛り上がった GOZILLA
のイマイチな結果は残念にも思えます。
2年前かな?ハリウッドで 『ゴジラ』
が作られるって聞いたときは、うれしかった。日本の本家ゴジラは、SFアニメ世代の理屈屋には見るに堪えないってのが正直な思いですもの。
それでいて、思い入れだけはあるんですよね。やっぱり、ゴジラはヒーローでしたから。
GODZILLA
には、蝉以上に女房が盛り上がりまして、臨月を圧してまで劇場に行くことになります。で、その甲斐があったというのは女房の言。蝉も充分に堪能しました。
GODZILLA はゴジラか?って聞かれれば、私の答えも‘NO’ですが、映画としてはとってもおもしろかったから、この論議はうっちゃっておけばいいじゃんって思ってます。
理屈をこねれば、おかしなところを見つけられない映画ってホント少ないです。折角お金出して愉しみに行くのですから、しっかりだまされてあげなくっちゃね。もちろん、下手なウソじゃあ興醒めだけど、
GODZILLA は及第点をあげれます。
う〜ん、 『ディープインパクト』
は泣ける映画ってこともあって人気も頷けるけど、 GODZILLA
の方が断然おもしろかったと思うんだがなぁ。
『ディープインパクト』 より先に GODZILLA
の上映が終了するってのが、イマイチ納得できない…。
『ディープインパクト』
観て、「あそこまで描けるんなら、いっそのことニーヴン&パーネルの
『悪魔のハンマー』
を映画化すれば良かったじゃん」って思いました。ま、希望ですけど。
そいや、 『アーマゲドン』
ってな映画もあったりして、似たようなヤツが重なるのもおもしろい現象です。
これから見に行きたいのは 『トゥルーマン・ショウ』
ですね。まぁ、長女H氏と一緒の観劇は無理だから、ビデオ化まで今しばらく我慢しますけども…。
虫を食べます。山間の貧しい地方では、貴重なタンパク源だったのでしょうね。ザザ虫なんかは、今では高級料理かな。まぁ、珍味なんでしょうけど。
ザザ虫、カワゲラやトビケラの幼虫をこう呼びます。水生昆虫全般をザザ虫って言う地方もあるようですね。こいつを佃煮にして食すわけです。
私は料亭で食べました。味はオキアミの佃煮と大差無いような記憶があります。まぁ、甲殻類と昆虫は同じ外骨格ですし、料理にするものは体長が小さいものですから、食材の味ってのは無いと言ってもいいくらい。食感をたのしむ料理です。勿論、姿は虫ですけど。
共食いと言われそうですが、虫料理は結構いける口です。特にイナゴの佃煮が好物なので、田舎にいた頃は夏の終わりにイナゴをよく食べました。
羽をむしって甘辛く煮付けたものは、香ばしく食感もいいです。しかし、姿は克明にとどめております。
長野県でも中信 (中部) から南信 (南部)
は養蚕が盛んだったこともあって、このあたりのポピュラーな虫料理が蚕の蛹ですね。
蚕はカイコ蛾を指します。幼虫は普通食べません。なんてったって、お蚕様ですもん。
蚕玉が絹糸に紡がれて、残った蛹が食材となります。蛹は廃材なわけです、不敬な言い方ですが。
蚕の蛹も佃煮にして食べます。正直言って蚕の蛹は苦手です。匂いがねぇ。なんか、樟脳のような匂いなんです。あれは、絹糸を紡ぐ際に使う薬品の匂いなのかも知れません。それに、甘く煮付けるんですよね。
もちろん佃煮にこだわらず、バター炒めにしたり、唐揚げにしたっていいんでしょうけどね。海外の昆虫料理ってえと、バター炒めが多いしね。芋虫のバター炒めってのが、TV番組で紹介されてました。その芋虫は蛾や蝶の幼虫じゃなくって、甲虫の幼虫です。
ゴトウムシって名の芋虫を、蝉の田舎でも食べます。こいつは、カミキリムシの幼虫です。桑の木の害虫なんで、養蚕が盛んな頃はそれなりに食べられていたようです。桑畑が無くなった今では、ゴトウムシを食べるってことは無いようですけどね。
蜂の子も食べます。蜂の子は、普通地蜂(クロスズメバチ)の幼虫を指しますが、南信地方でおみやげ屋さんの店頭に並ぶ瓶詰めや缶詰の殆どは、蜜蜂の幼虫なのだそうです。地蜂の巣を見つけて採るのは、大変な作業なんです。南信ではそう言わないのですが、地蜂採りのことを
「ヘボ追い」 と言って、漫画 『エースをねらえ!』
でも紹介されてます。
宗方仁が、病床の母のためにヘボ追いをする回想シーンがあるのです。蚕の蛹もそうですが、蜂の子は滋養強壮剤として珍重されます。地蜂のほか、赤蜂やら雀蜂などの幼虫も食べますね。コマユバチの幼虫は食べないですけど…。
ちなみに蜂の子飯は凄まじいですよ。蜂の子を使った混ぜご飯です。新井素子さんの小説で
『おしまいの日』
っていう作品がありますが、主人公はご飯が虫に見えてしまう精神状態に陥ります。蜂の子飯は、それが現実のものになるんです。でも、おいしいですけどね。
ジャンクフードっていえば、ハンバーガーやデリバリーピザって苦手です。嫌いってワケではないですが、馴染めないんですね。あ、マック(マクド)のは口にも合わないです。てりやき風味のヤツ以外は…。
この手のジャンクフード、女房は好きなんです。このあたり歳の差を感じるトコなんですけどね。いや、単なる味覚の差かな?ケンタのフィレサンドは、年に一度くらい
「食べた〜い」
って思うことがあるですが、女房は「好きじゃない」って言いますもん。油っぽいのが嫌いなんだってことですけどね。
でもね、モスは別格かな?ジャンクフードん中では一等好きです。ってのは、女房と一致してます☆
モスバーガーで好きなのは、照り焼きチキン。
でも、以前に地方のモスで、不味いチキンを食べさせられたことがあります。仕入れが悪いのか、調理が拙かったのか…。フランチャイズだからといって、どこで食べても同じ味ってわけではないみたい。
バーガーでは、ちょっと心残りもあります。それは、スワローズのカニバーガーを食べず仕舞いだったこと。
中部地区に一時出現したスワローズというバーガー屋さんで、カニバーガーという大胆な商品が販売されていたそうです。ロッテリアで、カニクリームコロッケバーガーってのが試験販売されたことがありますが、こいつは名前通りカニクリームコロッケがパンズにはさまったもの。とっても美味かったけど、奇抜さはありません。
スワローズのカニバーガーは、そんなものじゃあなかったそうです。ソフトシェルクラブを一匹まるごとパンズにはさんであったんだそうです。
食べてみたいと思いませんか?
カップ麺を主食のように食べたのは、ここ2,3年のことです。以前はカップ麺を口にするなんて、年に数える程度でした。
食べるようになって気付きましたが、ホント数多ありますね。カテゴリー?も最もポピュラーなラーメンから、焼きそば,うどん,蕎麦,冷やし中華,焼きうどん。これらにそれぞれバリエーションが加わって、その数は拡がる拡がる…。
これだけあると頭を抱えてしまうほど不味いのもあれば、とても美味しいものもあるですね。そして、蝉はカネボウフーズの
「広東○○麺」 シリーズが特にお気に入りです。
「広東○○麺」
シリーズの特徴は、ノンフライ麺ととろみのある広東風スープにあります。このシリーズには醤油と味噌,白湯,海鮮の4種類があって、どれも美味しいのですが、特に白湯が好きですね。病みつきになる味です。やや調味料過多と感じますが、スパイシーと捉えれば納得できる程度。
女房はジャンクフード嫌いでもないんで、今でもカップ麺は副食として重宝してます。で、今年('98)の夏、新たにお気に入りのカップ麺が加わりました。
日清食品タイの 「カップヌードル トムヤムクン」。
近所のサンクス(コンビニ)で販売されてて、週に2カップは食べました…。秋になって見かけなくなり寂しいんですが、どこかでまた出会えることを祈ってます。ちなみに味は、まさしくトムヤムクンです。池袋のワールド・インポート・マーケットへ行けば、ゲットできるかな??