1998年10月19日
“読み物”のこと
〜極上の暇つぶし〜
活字だけの書籍って、ほとんど手にすることはなかったです。
『二分割幽霊綺譚』
をはじめとする、新井素子さんの著作に出会うまでは。
ま、全然読んでなかったわけじゃないけどね。活字のエンターテインメントって、TV世代には地味に感じるのかな?読むってことも、それなりにパワー要るしね。
でもね、文字だけなんだけど最高におもしろい作品はいっぱいあるんだよね。さすがは、最も歴史あるエンターテインメントのひとつだね。
ここでは、印象深い本と、読むきっかけなんかのお話をしてます。
- アーサー・ヘイリー
〜大空港〜
洋画は大好きです。小学校の頃は特に、洋画ならなんでも観ました。尤も、TV放映で、ですけど。
「外人さんはなんて日本語が上手なんだろう」
と思ってましたよ。
ポセイドン・アドベンチャーやタワーリング・インフェルノなど、‘70年代はパニック映画が目立ってましたね。そんな中、エアポート‘75も愉しませてもらいました。そのルーツが
『大空港』
だって知って、観たくてねぇ。でも、レンタルビデオなんてなかった当時、叶わぬ夢だったですね。
原作小説があることを知って、ハヤカワ文庫の
『大空港』
上下巻を買ったのが、小遣いが本に化けた初体験でした。
アーサー・ヘイリーの作品って、複数の登場人物の人間模様が描かれ、或る事件を通じて彼らが邂逅し、その事件を解決することによって、彼ら自身が抱えていた問題も何らか結論づけて行くってパターンですよね。いわゆるグランドホテル形式です。
数年に一度の大寒波に見舞われている国際空港から離陸したボーイング707。そこで、自殺志願者が持ち込んだ爆弾が起爆する。幸い墜落は回避できたものの、傷ついた機体とけが人を抱える707は、離陸した場所へ引き返すしかない。機体に大穴が空いているのに、最寄りの空港はどこも雪で閉鎖中。まだ稼働しているのは、離陸した国際空港だけ。ところが、その空港も雪に閉ざされようとしている。雪を排して、飛行機をなんとか収容しなくてはと奔走する空港関係者たち。
縁がなくって映画
『大空港』
は見ず仕舞いだったんですが、数年前NHK教育で
『大空港』
を放映したんで、十数年ぶりにやっと観ることができました。この映画は良くできています。原作に比べて、いくつかのエピソードが端折られてはいますがね。
今のマイケル・クライトンと同じで、アーサー・ヘイリーの作品は映像化を前提に書かれてるようで、実際ずいぶん映画化やTVドラマ化されています。そして、映画が上手に作られていれば、改めて小説を読まなくてもって思いもあります。
とはいえ、辛抱のない活字嫌いの小学生が、充分たのしめた思い出の小説です。
- 倉田百三
〜出家とその弟子〜
中学の担任推薦ってヤツです。
浄土真宗の開祖、親鸞上人の半生を描いた戯曲が
『出家とその弟子』
。出家が親鸞で、弟子は唯円を指してるんでしょうか。
小学校の頃から、本読んで感想文を書くってな宿題がありましたが、一度として読了して感想ができたことはありませんでしたね。けど、
『出家とその弟子』
は違いました。今では筋も朧気ですが、戯曲だけあって場面を思い浮かべやすかったってな記憶はあります。
作品中、唯円が一人だったのか、鳥喰の唯円と常陸河和田の唯円の二人が登場していたのかも忘れてしまってますけどね。
それでも、紹介せずにはおれない本なのです。
宗教家の伝記。漫画なんですけど、坂口尚の
『あっかんべェ一休』
は読み応えがあります。
とんちの一休さん、一休宗純の一生を描いています。
師匠である華叟老師の精神を受け継ぎ得たと思われる一休と、老師の印可状を受け継いだ兄弟子養叟との対比、対立。はからずも、猿楽の技を極めることによって一休の境地と同じ場所へ到達したものと思われる、観阿弥、世阿弥父子と金春禅竹への系譜。世阿弥のスタイルだけを更に洗練させようとする観世元重(法名:音阿弥)をも対比させながら、応仁の乱へとひた走る腐爛した時代を、彼らの生き様を通じて描こうとしています。
この作品の最後は、一休の
「死にとうない」
という言葉でした。そして、この作品が坂口尚氏の絶筆となりました。
- ネビル・シュート
〜渚にて〜
‘70年代も終わろうとする頃、
『スターウォーズ』
が公開されました。そして、SFブームが到来します。TVの深夜映画枠でも、50年代後半から70年代前半に作られた
『地球の静止する日』 , 『宇宙水爆戦』
, 『猿の惑星』 , 『バーバレラ』 ,
『ミクロの決死圏』 ,
『ソイレント・グリーン』
(挙げればきりがないですね)
などが、こぞって放映されました。そんな映画の中で、とても印象深かったのが
『渚にて』 です。
キューバ危機以前の作品ですが、いわゆる終末モノです。
核戦争後、静かに最期を迎えようとしている、メルボルンの人々の営みを描いています。映画は、グレゴリー・ペックにエヴァ・ガードナー、フレッド・アステアにアンソニー・パーキンスと、錚々たる顔ぶれ。モノクロ作品ではありますが、レンタルビデオ屋で見かけたら、暇つぶしにでも選ぶ価値はありますよ。
原作も素敵です。終末モノですが、諦観に満ちているって訳でもありません。詩的ですけどね。
今にして思えば、中学生が耽る作品としては、ちょっと相応しくないかな?
ちなみに、映画
『2001年宇宙の旅』
だけは、SF映画の金字塔と呼ばれつつも、TVでは一向に放映されませんでした。そして、ぼくらにとって伝説となった
『2001年宇宙の旅』 は、後に
『2010年』
の併映として劇場で見ることが出来ました。その後、テレビ朝日の
「日曜洋画劇場」
でも放映されましたね。
この映画、やっぱりアーサー・C・クラークのってよりも、スタンリー・キューブリックの作品だと思います。だから、クラークは
『2010年』
を作ったのだそうですけどね。
映画 『2010年』
を見るのなら、その前に小説
『2001年宇宙の旅』
を読むとよりおもしろいと思いますよ。
- アーサー C.
クラーク
〜幼年期の終わり〜
クラークっていったら、
『2001年宇宙の旅』 や
『宇宙のランデブー』
シリーズが代表作なのでしょうけど、初めてのクラーク作品だった
『2001年宇宙の旅』
はさておき、その次に読んだ
『幼年期の終わり』
は、いまだに印象深い作品です。
『2010年』
発表前の当時、 『幼年期の終わり』 は
『2001年宇宙の旅』
の謎に対する、ひとつの答えのような作品でした。
知的生命体の進化の最終形態は、オーバーロードと呼ばれる意識生命体に取り込まれること。オーバーロードは、個にして全、全にして個。そして、彼らは宇宙を統べている。
『宇宙戦艦ヤマト』 と
『機動戦士ガンダム』
から、空前のアニメブームが湧き起こりました。SFアニメブームと呼ぶべきかも知れません。そんな中、富野由悠季氏がガンダムの後、次作として監督した
『伝説巨人イデオン』
というアニメーションがあります。TVシリーズとしては、途中打ち切りとなり成功しませんでしたが、ブームの後押しもあって、映画化され完結することができた、まるで
『エヴァンゲリオン』
のような作品でした。
このイデオンが、
『幼年期の終わり』
の影響を色濃く受けているようで、イデオンと
『幼年期の終わり』
は、蝉の中ではセットになった思い出です。
ただ、 『幼年期の終わり』
は楽天的な結末ですが、
『伝説巨人イデオン』
のTVシリーズでは救いのない終わり方をします。映画では、
『幼年期の終わり』 ばりですけどね。
私ゃ、宇宙が終わってしまうTVシリーズの終わり方に惹かれてましたけど。
(破滅好きか?!)
- 新井素子
〜二分割幽霊綺譚〜
同じ部活の娘から、
「おもしろいから聞きなって」
ってな具合で勧められたのが、ラジオドラマ
『二分割幽霊綺譚』 でした。NHK-FM に
「青春アドベンチャー」
って番組がありますが、その前身
「ふたりの部屋」
で放送されてたんです。
聞いてびっくり、すっごくおもしろい。15分の番組10回で完結したお話、途中から聞き出した私は、残りのストーリーを埋めるべく原作本を求めました。
『二分割幽霊綺譚』
の魅力は、読了したときの清涼感です。そして、さらなる気持ちよさを求めて、新井素子さんの別の作品たちを読みました。この方、高校生で文壇デビューして当時大学生だったと思いますが、寡作な方なんです。今は、更に拍車がかかってる見たいですが。ですから、別の作品っても、10編はなかったんじゃないかな?それでも、読書なんてしなかった私にとって、こんなに本を読むのも買うのも初めてのことでした。
今はじめて素子さんの作品に出会ったとして、あの頃のように感じるかどうか?
己の成長に従って、琴線に触れる物語も違ってくるのは当然ですもの。
それでも、
『今はもういない私へ』
って作品は、読み応えを感じると思います。クローンのお話ですが、唯心論と唯物論の対決って様相で考えさせられます。
素子さんの作品で共感したのは、
「人ひとりが生きるにも、自然界に対して多くの犠牲を強いている。だから、その犠牲に感謝して生きなくっちゃね」
ってこと。そして、だからこそ、生きることのため以外の目的で自然を破壊してはいけない、生物を殺しちゃあいけないってことですね。お陰で、スポーツフィッシングなんかに憤りを感じるようになりました。反面、捕鯨反対ってな運動は、たんなる感傷主義としか思えないんですけど。
ちなみに、地球にやさしいってな事とは違います。人間が自然(宇宙)から排除されないように生きるには、どうしたらいいんだろう?ってことだと思いますね。
『あなたにここにいて欲しい』
以後、臨床心理学に傾倒した作品が多くなりました。それでもやっぱり、優しい気持ちにさせられる清涼感は変わりありません。
- 司馬遼太郎
〜風神の門〜
司馬遼太郎作品、初めて読んだのは
『燃えよ剣』
でした。新撰組副長土方歳三の半生を描いたこの作品は、大変おもしろい小説のひとつですが、中学生の頃の蝉には大した印象を与えなかったようです。今では好きな小説の一つですけどね。
NHKは水曜日の夜8時という枠に、大河ドラマとは別の時代劇を新しく持ってきました。その第一弾が
『風神の門』 です。この枠ではその後、
『宮本武蔵』
で役所広司が武蔵を好演して話題になりました。残念ながら、この枠って今はありません。金曜時代劇がかわりなのかな?
さて、 『風神の門』
は霧隠才蔵の物語。舞台は関ヶ原の合戦の後になります。一匹狼の才蔵が、ひょんなことから真田幸村に仕えることになって、徳川方に雇われた獅子王院ってな伝説とまでなっている天才忍者との死闘を演じつつ、家康の暗殺を企てる。しかし、首尾悪く家康を討つこと叶わず、大阪冬の陣を迎えます。幸村の知略を持ってしても、時の勢いは如何ともし難く、劣性のまま夏の陣に突入して物語は終わります。小説では、才蔵は獅子王院を討ち、幸村に仕えるきっかけとなった女性と共に、新たな伝説となって歴史の狭間へと還ってゆきます。
小説 『風神の門』
の印象は、実は失望なんです。
TVドラマでは、獅子王院は妖怪のような老人ではなく、才蔵と同じくらいの歳の人物として描いています。そして、獅子王院と才蔵は好敵手として描かれ、生き様が対比されます。獅子王院は禁欲的で、才蔵は奔放です。才蔵は獅子王院を討つことなく、大阪城落城を迎えます。小説ではお姫様でしたがTVではその下女として仕えていた
「くノ一」
と新しい旅に出る才蔵、それを見つめる獅子王院。そして、獅子王院はきびすを返し、才蔵達とは反対の方向に駆け出して、終劇となります。
蝉は獅子王院がとても気に入ってました。ですから、期待して読んだ原作の獅子王院が妖怪爺いで、とっても失望したんですね。…今なら、小説を支持しますけど。
司馬さんの作品には、その後もずいぶん愉しませていただいてます。幕末の長岡藩家老河井継之助の半生を描いた
『峠』,日露戦争の名将秋山好古、真之兄弟と俳人正岡子規の物語
『坂の上の雲』
、明治陸軍の基礎を築く大村益次郎を描いた
『花神』 は特に好きな歴史小説です。
“読み物”
のこと 2 へつづく